Healing Salon Amenohoshifuneのブログ

ヒプノセラピストが日々思うこと、感じることをつづっています。

闇に舞う美しきもの

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(画像はお借りしています)

 

こんにちは。

ブログを訪問くださりありがとうございます。

 

 

皆さんは、能の『蝉丸』を鑑賞されたことはあるでしょうか。

 

私は残念ながらまだその機会を得ていません。

でもこの物語の内容を読んで深く思わされることがありました。

 

それは、

人の世には、人知れず闇に舞う美しきものたちがいることを。

 

 

蝉丸は天皇の皇子。

逆髪も天皇の皇女。

 

前者は盲目の琵琶法師。

そして後者は、髪の毛が逆さまに生えた奇怪な風貌の狂人。

  

両者に共通するは、

親である天皇に捨てられたこと。

それも容貌が醜いということで。

 

 

二人は奇遇にも山中で出会う。

蝉丸の奏でる琵琶の音が

逆髪の純潔の心に響いたからかもしれない。

 

運命の糸が紡ぐ不思議な縁。

互いの出自を語らい、

互いの心をひとときの間、想い、慰める。

 

両者の容姿は、彼らの心の眼には映らなかった。

むしろ彼らの眼は、

互いの心に宿る優しく美しい光を映していた。

貴族社会を追放され、

忌み嫌われた者たちだからこそわかり合える人の情がそこにはあった。

人の美しさがあった。

それがわかるがゆえにまた、

人の心に巣喰う醜さを哀れ悲しんだ。

 

 

世阿弥は問う。

 

 

私の姿は醜いか?

面白いか?

 

だけれど、ほんとうに滑稽なのはどちらだろうか。

 

世に言われているものは、ほんとうに美しいか?

そして、

ほんとうに美しいものとは、一体なにか?

 

 

婆娑羅の時代。

人の本質がより露わになった世界は、

真に美しいものとそうでないものとが明確に現象化した時代だった。

 

誰よりもそれを知っていた者。

猿楽に起源を持つ芸能を継承する者。

闇の調べと光の栄えの境界を行き来し、

そこに類稀なる美の蕾が花ひらいた。

 

時の将軍の寵愛を受け、

接する人々の向ける表向きの心とは裏腹の

蔑み嘲笑する人の心の闇を

人々の眼の奥に捉えていた。

 

人。

それはまるで面を被った得体の知れないものと、そんな風に思っていただろう。

奥底に、そんな面が潜在していることを

彼は悲しいほどにわかっていただろう。

 

ほんとうに美しいものとはなにか。

世阿弥は生きることの本質を

同じように面を被り、舞台の上からそれを投じた。

 

 

この世とあの世の境界の

ただ中に独り舞う。

 

面の裏側の領域、

深淵に潜む、

人の闇を舞う。

 

舞は息を呑むほどに、ただただ美しい。

 

人の業を

生の賛歌を詩う。

 

それは、

この世において

なにがほんとうに美しいものなのかと

私たちに問うてくる。

 

美しいと信じているものが

正しいと疑わないものが

果たして真実そうなのかと、

真に迫る声が聴こえてくる。

 

 

婆娑羅の世も

令和の世も変わらない。

 

 

ほんとうに美しいものとはなにか。

 

 

蝉丸の琵琶の音に

逆髪の真っ直ぐな眼差しに

ひとりの芸術家の舞に

それを聴く。

 

 

 

テラに愛をこめて

 

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