Healing Salon Amenohoshifuneのブログ

ヒプノセラピストが日々思うこと、感じることをつづっています。

能とヒプノセラピー 境界線の向こうに現れる時間

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(画像はネットよりお借りしています)

 

こんにちは。

ブログを訪問くださりありがとうございます。

 

 

日本を代表する芸能である能。

この能とヒプノセラピーで扱う領域はとてもよく似ていると

私はそのように思います。

 

 

上部の画像。

個人的に好感を持つ能役者の方の舞台情報です。

日本の古典「伊勢物語」の一幕、

在原業平が都を追われ、

遠く京の都を

また失ってしまった二条の后を想い、涙するこの場面。

 

河辺にかかるいくつもの橋、

水のほとりに咲き並んだ燕子花(杜若)の花が

業平の嘆息を受けて美の空間を生み出します。

 

岸を隔てる橋は都と鄙を、

また留まりたいとする心と

怖いけれど更なる自分へと進みたいと思う心とを分かつ境界線。

 

燕子花の群生は心の境界線を彩りながらも

いくつもの層となり、エッジとなり、

端と端は重なり、溶け合い、融合し、

生み出される間。

 

響いてくる笛と鼓の音に共振したとき

深奥なる空間はそこに現れます。

 

この空間で

シテ(杜若の精霊)は舞を舞います。

杜若の精霊は、

草木であると同時に菩薩の化身でもあり、

またそこには業平のイメージも重なっています。

 

そして業平の数々の恋物語を語ります。

それは業平だけではなく、彼が関わった女人すべての想いまでも

語ることで

舞うことで

ひとつの境地へと

悟りの境地へと至るまでに。

 

その舞のひとつひとつの動作は

ヴァイブレーションとなり、

魂に浸透してゆき、

物語における登場人物も空間も

そして鑑賞者さえも浄化してゆきます。

 

舞を舞うことによって救われ

カタルシスがなされてゆく、

この能という空間に

私はヒプノセラピーのセッションで生まれるものと似たものを感じます。

 

目には見えないけれど、

私たちのどこかに、確かに存在する時間。

舞を舞うことによって、

言葉を重ねることによって、

その時間は

静かに、幻のように浄化されてゆくのでしょう。

  

 

上部画像の背景の部分。

滲んだ薄紫の淡い色彩は、

業平の涙が淡くさせているとも、

燕子花の花弁が業平の心に寄り添い溶け合っているような

自然と人が境界線を超えて一体となった、

そんな空間を感じました。

  

残念ながら燕子花の花の季節は終わってしまいましたが、

こちらの公演は来月に大津で行われます。

 

能を鑑賞することで

自分の中の

どこかにある時間に、

そっと心を傾けるのも良いのかもしれません。

 

 

 

テラに愛をこめて

 

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ただいまのところ、初回のセッションをドネーションにて受け付けています。

ドネーションとは、セッションを受けた後に、そのセッションに対して支払いたい金額をクライアント様自身に決めていただいてお支払いいただくというものです。

こちらは期間を設けさせてもらっていますのでご了承ください。

 

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